インドネシア 日本軍 侵略

庶民は圧迫され、80年代バブル期、中流を意識していた国民庶民感情は ・前回の記事で書いた「ペタ(郷土義勇軍)」で日本人が協力したこと。, この2つの理由によって、「今でも日本に感謝してるインドネシア人はたくさんいる」ということをその本で知った。, その本を読む前まで、太平洋戦争のときの日本というと「残酷な侵略者」というイメージがあった。, インドネシアを始め、東南アジアで多くの人たちに苦しい思いをさせて迷惑ばかりをかけていた。 日本軍が降伏してしまった現在、我々が上陸すれば、彼らはただちに元どおり従順になるに違いない」 と考え、インドネシアの独立宣言を無視してイギリス軍とともに、再度インドネシアを 『 侵略 』 すべくスラバヤに上陸した。 ふつうのインドネシア人は日々の生活で忙しいし、頭のなかにあるのは週末の予定ぐらい。, 独立記念日がある8月になると、インドネシアの国旗を街で見かけるようになるから、オランダの植民地支配や独立のことを考えることもあるぐらいだという。, 結局、ボクがインドネシア人から話を聞いた範囲では、「オランダの植民地支配を解放した日本」も「インドネシア独立を助けた日本」もなかった。, 「インドネシアが親日国と言われるようになった最大の理由は、日本人がオランダによるインドネシアの再植民地化を防ぐ手助けをしたこと」, でも、「日本軍は残酷なことばかりをしていた侵略者だ」とか、「今でも日本人を恨んでいるインドネシアの人たちはたくさんいる」という話も聞かない。, さっきも書いたけど、70年前の日本のことなんてだれも興味がないし、ほとんど知らない。 殆どの人々には教育の機会がなく、読み書きが出来ない子供たちも沢山いました。・・・それは「インドネシア人を無知蒙昧のままにしておく」というオランダ政策の一つだったのでした。オランダ人は原住民であるインドネシア人に対して、はっきりと下等階級という扱いをしていました。・・・・小さい頃の私をもっと傷つけたのは、町の中心地にあったスイミング・プールでした。プールの入り口には大きな看板があり、「犬とインドネシア人の立ち入り禁止」と書かれていました。・・・, 第2次世界大戦前、アジアのほとんどの国は白人たちの植民地となっていました。それを、日本が白人たちと戦うことによって解放したということは間違いのない真実です。 面積にしてインドネシア60分の1の小国オランダが、その後、350年間もインドネシアを植民地にして搾取を続けた。, その政策は苛酷を極め、軍事力(暴力)を背景にインドネシア人の土地を次々に奪い、田畑を香辛料や砂糖・コーヒーの畑に代えさせプランテーション<奴隷農場>で作らせた。 インドネシア人の主食となる米はタイから輸入、他の農作物も作ることを許されず、オランダ人に逆らうと食糧が手に入らない仕組みを構築。, 多くの餓死者を出させながら、タダ同然で子供のころから「オランダ人の優雅で快適な生活を支える奴隷」としてこき使い続けたのです。, これら無法なオランダ支配に対しインドネシア人による独立闘争は何度となく起こされたが、力のないインドネシア人たちはすぐに制圧され、多くのインドネシア人たちが(女・子供に至るまで)見せしめの拷問や虐殺にあった。, 1・ オランダの安全と利益に関係のない限り放任して、人民を文盲のままにして置き、各地の土候(サルタン)を使って、間接統治したこと。 つまり、徹底した愚民化政策を敷いた。, 2・ 才智にたけたアンボン人とミナハサ人とバタック人を訓練し、キリスト教に改宗させて優遇し、警察官や軍人として登用した。そして、気に入った女を見つけると野獣のごとき性欲を満たすために強姦、結果生まれてきたオランダとインドネシアの混血児を中間支配階級として使い、民族の分断を策した。 インドネシアではオランダがそういう情報をストップしていて、自分たちに都合のよいことばかりを流していました。それでも私たちは、アジア人で一番初めに白人を負かしたのは日本だということを知ったのでした。・・・ 旅行サイトの「TABIZINE」の記事(2016年8月)では、世界の親日国としてインドネシアをあげている。, 「TABIZINE」の記事では、その最大の理由を「日本人がインドネシア人とともに独立のために戦ったから」ということをあげている。, インドネシアが親日国と言われるようになった最大の理由は、日本人がオランダによるインドネシアの再植民地化を防ぐ手助けをしたこと。, インドネシアは約340年間にわたるオランダによる植民地支配と、日本による1945年までの3年間の統治の後、独立を宣言します。, しかし、オランダが再度インドネシアを植民地化しようとしたため、再び独立戦争が勃発しました。そこでインドネシアとともに戦ったのが軍籍を離脱した日本人約3000人。その甲斐あって、1947年にインドネシアは悲願の独立を果たしたのです。, 「インドネシアはとても親日的な国だ。その理由は、太平洋戦争の前後で日本人がインドネシア人のために良いことをしたから」, ・「TABIZINE」の記事で書いているように、インドネシアの独立のために日本人もオランダ軍と戦ったこと。 確かに今の日本人も戦後のアメリカの占領などについて関心のある若者は少ないという印象を持たざる負えないですよね 。 私も時間があればぜひインドネシアに行ってみたいと思っています。貴重なブログありがとうございました。 >>日本軍はフィリピンやインドネシアを侵略したのですか?それとも大東亜共栄圏を目指したのですか? これに関しては、人によって解釈が違いますよね。ご自分の解釈でよろしいかと思います。 日本は、スカルノら独立運動家を解放し義勇軍(後のインドネシア軍)を創設。 また、現地に根付いていたイスラム教を容認。 米を増産し飢餓を解消させ、電気、上下水道、道路、橋などのインフラ整備を行い、教育を普及させた。 忘れてはいけない人やことがありますから。, >自分たちの力で独立をしたことにしたいでしょう このことについて客観的な根拠はありますか?, ・外国人から見た不思議な国・日本の姿を伝える。 率直に思うこと。日本政府は、日本国民の暮らし向きを犠牲にしてまで その国が立ち直る頃には世代変わって忘れ去られるって印象が、記事読んで インドネシアから日本によってオランダが追い出され、インドネシアが独立するということは神様の恵みなのです。・・・・ 韓国・台湾・インドネシアの歴史教科書を読みましたが、インドネシアで反日教育はないです。, 感謝なら戦後に日本が行った支援ですね。 いったい何を勝ち得たいのかさっぱりわからなくなった。相変わらず 歴史上初めてアジア人が白人に勝ったという1904~5年の日露戦争のことについては高等師範学校時代に本を読んで知りました。私は歴史が好きでしたから、ジャカルタの高等師範学校に入った後に、そういう日本についてのことを知るようになりました。 宿のスタッフが「日本人は部屋をきれいに使うし、問題もおこさない」と言えば、旅行会社のインドネシア人は「日本人の客はルールや時間を守るし、キャンセルもしない」と言ってくれる。, 他にも移動中のバスで話を聞いたインドネシア人からも、日本に対して良い印象をもっていることを聞いた。, ボクが話を聞いた限りでは、「オランダの次に支配したのが日本」というものが多かったけど、だからといってインドネシア人は日本に悪い感情をもってはいない。, 日本で住むインドネシア人の関心は、そんなことより今の日本での生活のほうにある。 インドネシアの歴史教科書を読むといいと思いますよ。 どうも、長文で失礼いたしました。 どこへやら。ああ、嫌味ったらしい貧乏庶民の愚痴になるぅ…, いえいえ! 最近、外務省が発表した調査では、東南アジアの国は日本を高く信頼していることが分かりました。 自国の歴史をどう解釈するかは、その国の自由ですから、仕方ないです。, でも、いまのインドネシアで日本は人気があると聞きました。 独立戦争で、日本人もインドネシア人と一緒にオランダ軍と戦ったことを知っているインドネシア人は1人もいなかった。, 旅行に行く前は、「植民地支配からの解放者としての日本」や「独立を守った日本人」というイメージを頭に思い描いていた。 侵略の定義からすると、日本軍はどこにも侵略はしていません。 中国においては、日本人居留地に国民党軍が攻めてきたので、日本軍はこれを撃退し、危険な国民党を殲滅しようとして、戦闘行為を続けたということになります。 日本人とインドネシア独立戦争. でもバリ・ジョグジャカルタ・ジャカルタで出会ったインドネシア人に話を聞いても、そんなことを話す人はいない。, 今度は中学や高校の歴史教育とは逆で、「あの本に書いてあったことはなんだったんだろう?」と不信感をもつようになってしまった。, 宿のスタッフも旅行会社のインドネシア人も、「日本は大好きださ」と口をそろえて言う。 インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 : 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。 桜の花出版編集部編 (シリーズ日本人の誇り, 6) 桜の花出版, 2006.11 , 星雲社 (発売) しかし、インドネシア軍はもはや従順ではなかった。日本軍によって訓練され、日本が降伏した後、日本軍が命がけで横流しをしてくれた武器を持ったインドネシアの民衆軍に強襲され、イギリス軍はたちまち一個師団が全滅してしまう。, インドネシア独立戦争には、旧日本軍兵士 およそ2,000~3,000名が、己の良心、生き様、そして 武士道精神 に基づき、本国の命令を無視、脱走兵の汚名を着ることで故郷に残した家族が肩身の狭い思いをする苦悩をも乗り越え、インドネシア独立のために、命を懸けてペタの中心となって戦ったのである。 「我々はようやく力がついてから全世界の見ているところでオランダとの約束を全部破り捨てた。つまり 植民地主義 と戦うには力がないと勝てない。オランダと戦う力、つまり 軍事能力 を戦時中、日本 が与えてくれたおかげで我々は 独立 することができた」, これが、『 東京裁判 』 で裁判官となり、「日本の侵略戦争」 を裁いてきたイギリス、オランダという白人国家の真実の姿なのである。 ちなみに、すべての白人国家は、植民地で行った、侵略、拷問、虐殺、略奪、強奪、強姦、輪姦に関して、何ら謝罪や賠償は行ってはいない。, 戦時中、日本軍がインドネシアをわずか9日間で落とすと、すぐに降伏して「第1次大戦の時に日本人が優遇したドイツ人捕虜のように大切にしろ」と要求しました。, 要求の通り日本人はオランダ捕虜の面倒を見てあげたにも拘らず、戦後、自分たちが日本軍の前にわずか9日間で降伏したふがいなさを隠すため、「残忍な処遇を受けた」とデタラメを言って日本人に対してB・C級戦犯裁判をおこない、連合軍の中で最多の226名もの日本人を処刑しただけでなく、, これが、日本人が 「正義の裁判」 と信じて疑わない東京裁判の判事を引き受けた国のやっていたことなのである。, 戦後、多くのインドネシア人は、日本により教育を受けることが出来たこと。日露戦争で世界最強の軍事力を持った白人国家のロシアに日本が勝利したことと。日本軍がわずか9日間でオランダ軍 (白人)を殲滅(せんめつ)したことで「有色人種でも白人に勝てるのだ」という自信を得たこと。そして多くの日本兵の犠牲があって独立できたことに、大きな感謝の心を日本に持ち続けている。, 独立戦争で命を落とした元日本兵は、1,000名を超えた。彼らはジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめとする各地の英雄墓地に葬られた。戦後、生き残った元日本兵も、インドネシア国籍を与えられ、亡くなった時は国葬となり、儀仗兵(ぎじょうへい)に担がれて英雄墓地に埋葬される。, また、インドネシアの独立記念日には、男女2人に皇軍の扮装をした1人を加えた計3人で、国旗を掲揚しているのです。, それは西暦ではなく、日本古来からの暦である紀元節(皇紀2605年)によって表されているからなのです。, 昭和33年、訪日したスカルノ大統領は日本へ感謝の意を表し、特に、独立戦争で大きく貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送った。, また、スカルノ大統領が最も尊敬し敬愛している人物の一人に、日本陸軍 今村均(ひとし)大将がいたことを知っている日本人は、極わずかしかいない。戦後、今村大将がインドネシアに行けば、国を挙げての国賓待遇であった。そのご子息がインドネシアに渡るだけでも、国を挙げての大歓迎となったほどなのに・・・である。, これらの事実を、政府もマスコミも、学校教育の現場でも、日本を悪く言うことで快感を覚える日本のエリートたちによって創られた 『 日本の 自虐史 の歴史 』 を教える都合上、隠し続けたのである。, 一切学校では教えず、テレビをはじめとするマスコミが黙殺する 『 日本陸軍の真実の姿 』 が、「インドネシア独立の歴史」 の中にもあるのです。, 「我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである」, 「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」, 「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」, 「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って歴史とプライドがある。 6・ オランダはインドネシア国民の統一を阻止すべく、全国各地域で用いられていた320の種族語をそのままにして、一つの標準語にまとめようとする企ては絶対に許さなかった。, こうしたインドネシアからの徹底した搾取により、小国オランダは大いに栄えたのである。, 昭和16年8月、オランダは300年に渡る友好的な日蘭貿易の歴史を踏みにじり、日本の生命線である石油をオランダの植民地であるインドネシアから輸出することを止めた。(ABCD包囲網), 白人国家の仲間であるアメリカとイギリスの甘言に乗って、友好関係を続けてきた日本を裏切ったのである。, 昭和16年12月8日、日本政府は米英との戦争を起こすも、友好の歴史が長いオランダとは、平和の裡(うち)に原油の輸入を再開すべく、交渉努力を重ねた。, しかし、オランダは、有色人種でしかない日本と戦争になっても勝てると確信しており、最終的に交渉を拒否。, 昭和17年3月1日、オランダにより一方的に止められた石油資源確保を目指し、今村均中将率いる陸軍の主力第16軍5万5千はオランダ領インドネシアに上陸。 わずか9日間の戦闘でインドネシア全域のオランダ軍を主力とする、イギリス、アメリカ、オーストラリアの連合軍9万8千を降伏させた。, それまで350年もの長期にわたったオランダのインドネシア支配を、わずか9日間の戦いで、日本軍は撃ち破ったのである。, この時、私たち戦後世代では理解ができない、とても不思議な現象と遭遇したことに気づかれましたか?, 私たちは、「日本軍がアジア侵略をし、アジア人と戦争し、アジアの人々に多大なる苦痛を与えた」と学校で学び、テレビが放送し、国会議員たちがひたすら謝罪し、新聞や雑誌や参考書には、日本軍のアジア侵略が書き継がれてきました。, もし、私たちが信じ続けてきたアジア侵略の歴史が正しいのであれば、日本軍の相手となるのは、インドネシア軍に所属するインドネシア人でなければなりません。, しかし、日本軍と戦ったのは、なっ、なっ、なんと! インドネシア人ではなく、オランダ人であり、アメリカやオーストラリアに住む白人たちだったのです。, 「白人種たちは、インドネシア人の為に、彼らに代わって、命を投げ出す覚悟で日本軍と戦った」のでしょうか?, 私たちが学んできた歴史では説明ができない真実の姿が、この本を読み続けることで、明らかになっていきます・・・, オランダ軍を打ち破った日本陸軍・今村大将は直ちに軍政を敷き、それまで抑圧されていたインドネシア人による軍隊の結成や官僚の育成、投獄されていたインドネシア独立運動の指導者たちの釈放、法制度、オランダの愚民化政策で行われていなかった教育制度、イスラム教の制限の撤廃、オランダにより禁止されていた民族共通語としての母国語(インドネシア語)教育、誇りを取り戻すために歴史教育の開始ほか、病院や道路、上水道設備、学校、工場などの様々なインフラ整備を進めたのです。, インドネシア語を公用語にすることで、多言語社会で国家としての統一が取れず、オランダ植民地支配が続き搾取され続けてきたインドネシア人を、団結させることに成功したのである。 PS、マランは山に囲まれた静かで良いところです。独立の時に戦われた小野盛さんが暮らしていた場所です。 4・ オランダ人は、立地条件が好くて、高燥で風景のすぐれた地域に、堂々たる別荘街を設けて、現地人の住居を寄せつけず、オランダ人を現地人の及びもつかない高等な人種と思わせ、抵抗をあきらめさせるように仕向けた。 感想を書かさせて頂きます。 私も「日本軍に感謝している」というインドネシア人を探してみましたが、見つかりませんでした。 インドネシア独立のために戦った日本人はいましたが、この教科書には何も書いてありませんでした。 インドネシア人の歴史認識を知りたかったら、インドネシアの歴史教科書を読むことがいい。日本とインドネシアの関係についても書いてある。1942年に、日本軍がオランダを降伏させてインドネシアを占領した。全体的にみたら日本は悪者になっている。 これも今までの日本人のおかげです。, >結局、ボクがインドネシア人から話を聞いた範囲では、「オランダの植民地支配を解放した日本」も「インドネシア独立を助けた日本」もなかった。, →最近のインドネシアの人達は、このことを確かに知らないかもしれませんが、これは特定の誰かが言い始めたことでもなんでもなく、歴史上の事実です。その証拠のほんの一部を以下、ご紹介します。 それじゃ、ボクが教わった教育はなんだったんだろう?, 宿のスタッフや旅行会社で働いていたインドネシア人に話を聞いてみたけど、「日本軍がオランダの支配から解放した」なんて話した人はいない。 大げさで実態と離れているような。, インドネシアは親日国ですけど、それは戦後の支援や食べ物やポップカルチャーなどの文化の影響でしょうね。 日本軍の敗北から1947年5月の全日本人引き揚げまでのあいだに、日本軍の死者は1078人を数え、この人数は日本軍の蘭印侵攻時の戦死255名、負傷702名を上回るものだった 。 1600年代から300年以上もオランダの植民地であったインドネシア。その後日本の軍政支配下に置かれたことはご存知のとおりですが、日本軍はインドネシアの独立に大いに貢献したといいます。無料メルマガ『Japan on the… 日、この日本の占領という史実はインドネシアや日本、あるいはかつてのインドネシアの 宗主国オランダでどのように認識されているのか、即ち歴史認識の比較という3つのテー マについて報告したい。 1.1930年代日本の対外関係とインドネシア 海外の反応 日本軍の東南アジア侵攻は『侵略』だったのか『解放』だったのか 植民地にされた事によって発展を遂げた面もあった。 この国に初めてダムや灌漑システムや鉄道が作られたんだ。 日本の敗戦後、昭和20年8月17日、初代大統領に就任したスカルノは独立を宣言した。, ところが、日本軍に駆逐されたオランダは9月下旬、「インドネシア人は極めて従順な支配しやすい種族である。日本軍が降伏してしまった現在、我々が上陸すれば、彼らはただちに元どおり従順になるに違いない」 と考え、インドネシアの独立宣言を無視してイギリス軍とともに、再度インドネシアを 『 侵略 』 すべくスラバヤに上陸した。 戦後70年を迎える今夏、『ありがとう日本軍』を上梓した井上和彦氏。「一度も、1人たりとも、日本軍を悪し様に語る方に出会いませんでした」。世界中をその足でまわった井上氏が、今、伝えたいこと … インドネシアの歴史教科書はそういう方針で書かれていました。 日本軍は300年以上インドネシアを食い物にしていたオランダ軍と戦いを開始した。 . ただ、真実は兵隊さん達(英霊)がいなければ私たちは生まれていなかったってことです。たとえ敵でも同じです。英霊様を貶めてはいけないと思います。ドイツのように責任を押しつけて生きてる国じゃなくて良かったと思います。日本人が良く思われているのも先人のおかげです。 これはもともと、キリスト教の聖書(使徒行伝九章)に書いてある言葉なんですよ。, そんな目的があったからインドネシアを旅行していたときには、太平洋戦争の前後で日本がしたことをいろいろなインドネシア人に聞いてみた。, 「ああ、そのとおりだ。インドネシアの独立は日本のおかげだよ。だから今でも感謝しているインドネシア人はたくさんいるんだ」, やっぱり!太平洋戦争のときに、日本軍はインドネシアに良いことをしたんだ。 そういう日本人のことを覚えてほしいのですけどね。, インドネシアに旅行に行ったときに現地のガイドに、日本軍(日本人)は悪いことをして済みませんてきな事を言ったら 「350年続いた軍事力を背景にしたオランダによる植民地支配を、わずか9日間の戦いで終わらせた日本陸軍。インドネシアの独立国作りは、ここから始まった」, 1596年、オランダはヨーロッパが欲しがっていた香辛料 (※ 肉の臭みを消してくれる:大変な高値で売れ、銀と同じ価値を持っていた) の最大生産地インドネシアに艦隊を派遣。, 1602年、インドネシアを侵略、香辛料を独占し、以来、東インド会社を拠点に収奪を繰り返した。 そんなことを話していた。, これはインドネシアに住んでいる人たちも同じ。 1994年のインドネシアの独立記念パレードで、日本兵が使い方を教えた日本刀や竹槍を持って、日本の軍歌をみんなで歌うインドネシアの人々の映像です。, インドネシアに4年駐在していたものですので、ついついインドネシアの肩を持ってしまうおじさんのたわごとでした(^_^)。, コメントありがとうございます。 インドネシアは日本の敗戦後、独立宣言をしますが、オランダは再びインドネシアを植民地化しようと侵略してきました。これがインドネシア独立戦争です。 その時にインドネシア軍側に協力したのが、敗戦時に現地にいた3000人を超える日本人です。 キーワード検索でお好みの記事が出ますよ。. 英雄像が伝える日本とインドネシアの絆 「日本は侵略をしていない」 石井孝明氏 (1/2ページ). 当時私は、日本はアジアを代表する国だと思いました。日本のお陰で、白人だけが強いのではない、私たちもまた強くなれるのだと思うことが出来たのです。日本の日露戦争の勝利は私たちを非常に勇気付けたのです。 「お金を出せ」などとは、360年間、わが国を支配した、オランダにさえ要求しない」, 「今、インドネシアでもその他の国でも、大東亜戦争で日本の憲兵が弾圧したとか、労務者を酷使したなどと言っているが、そんなことは小さなことだ。 いかなる戦場でも起こり得るし、何千年前もそうだったし、今後もそうだ。日本軍がやった最も大きな貢献は、我々の独立心をかきたててくれたことだ。 日本人はインドネシア人と同じように苦労し、同じように汗を流し”独立とは何か”を教えてくれた。 これはいかに感謝しても感謝しすぎることはない。このことはペタ(日本軍が育成した祖国防衛義勇軍)の訓練を受けたものは、一様に感じていることだ。 特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍約千人(※一説には3千人以上:筆者注)帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと闘い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績をたたえて殊勲賞を送っているが、それだけで済むものではない」, 「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった」(昭和32年の来日の際の発言), 平成3年、村山首相(旧社会党:現民主党と社民党)がASEAN諸国を謝罪して回った時、インドネシアの東欧大使を歴任したサンバス将軍は、, 「日 本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。  そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。  村山首相は日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。  かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である 」, と、嘆いていた。 (『(中島慎三郎「アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論」『祖国と青年』1994年2月号), 第1に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。, 第2に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。, 第3に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた 」, 私は、大東亜戦争中、日本の軍政監部の指導の下で色々なことを学ばせて頂き、さらには、日本に留学までさせて頂きました。それによって、私は成長させて頂き、人生が拡がっていきました。ですから、私は日本に大変感謝しています。・・・ 私も貴方と同じようにインドネシアが親日的な理由が独立に関係しているのかと思っていましたが、インドネシアの方は今を生きることの方が大切なのだと考えているのがこのブログで感じ取れました。 10 インドネシア日本占領期史料フォーラム編『証言集-日本軍占領下のインドネシア-』(龍溪書舎、 1991 年)183 頁。 11 aseanセンター編『現地ドキュメント アジアに生きる大東亜戦争』(展転社、1988 年)74-75 頁。 もし日本がいなければインドネシアの独立までには、さらに百年かかっていたかも知れません。それを、日本はたったの3年半に縮めたのです。, インドネシアが日本に占領されたことは、私たちにとって幸運でした。さもなければ、インドネシアの独立運動は遅れていたことでしょう。日本の占領が無かったとしても、おそらく独立はできたと思います。しかし、果たしてどれくらいそれが遅れていたか、私にはわかりません。, それゆえに、私は日本軍に感謝しています。もちろん彼らがインドネシア人に対して荒々しく粗暴だったことも事実ですが。, 軍事訓練においても、何かミスをすればすぐに殴られました。ただ、戦場において何かミスをすれば、それは死につながります。だから、そのように厳しかったのでしょう。, そして私たちインドネシア人は、日本軍の占領時代の厳しい訓練を通じて、戦う精神を得ることが出来ました。戦争前のオランダ時代は、私たちは支配者であるオランダ人の言うことに、ただ「イエス。イエス」としか言えませんでした。しかし今、私たちは「ノー」ということが出来ます。, 「日本が侵略し大変な被害を与えた」と言われている、東南アジアにあるインドネシアの方々の証言です。これが、「日本が侵略した」と私たちが学び信じてきた国々での、真実の姿なのです。, 平成6年、村山富一首相(旧社会党、民主党と社民党に分裂)は、東南アジア歴訪で謝罪を繰り返していることに対し、 マレーシアのマハティール首相から 「日本は謝罪外交を止め、アジアが平和と繁栄のためにリーダーシップを取るべきだ」 と諭されました。, この稿は、終戦直後、進駐軍が、大和民族の精神弱化を強行した時期、それまで不遇の地位にあった人々が、これに便乗し、祖国の伝統と歴史とが、いかにもつまらぬものであったかのような文や言説を、盛んに致したことに憤慨し、執筆したものであった。

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